あなたはすでに安心と幸福の中にいる

貯金ゼロでも今から豊かに幸せになるブログ

丁寧に過ごす

一日を丁寧に過ごす。

不安を感じても、目の前にはすばらしいことがたくさんある。

風が吹くこと頬をなでること。

木々がそよぐことそこに音が流れること。

私たちの言葉や存在がグルーヴを生むこと、

お互いのことをお互いで回転させ、

リズムを生むこと。

肉体的に離れていても、

存在がつながっている。

その一つをまじまじとながめ、

わたしたちの素晴らしさをかみしめよう。

生きていることは奇跡なのだ。

流れなのか、選択の結果なのか

今まで、

全てが自分の選択の結果で自己責任であると

捉えてきたけれど、

それは喜ばしく見える事象の前では、自信に繋がるが、

非常につらい状況では、自分を責めることになる。

 

間違っていた

ああこうすれば

後悔と自己憐憫におちいる

 

それならば、まあ確かに自分で選択しているように見えるかもしれないが、

 

大きな流れの抑揚のひとつであると捉えれば、

良いもわるいも、同じテンションで感じられるのではないのか?

 

必要以上に自分の選択にとらわれるな。

そして純粋な経験となる。

 

この出来事が教えてくれた気づきは?

 

楽しいことばかりでない毎日。

 

漫然と生きてきたわけではない。

日々目の前のことに懸命だった。

あの時どうしてそんな道を選んでしまったのか、

振り返っても変えようはなく、

とんでもない事態に陥り、

地獄に落ちたような気持ちになったりもしますね。

 

 

安心と愛を強く求めたことがあります。

家族がほしい。

愛されたい。

豊かな生活がしたい。

 

家族があり、パートナーに愛され、

すでに、人に恵まれ豊かなのに、です。

 

できる人、すごい人、美しい人に見られないと、

 

見捨てられそうでこわい、こわい…

 

見栄を張って自分の生活と心を顧みずにいました。

 

 

そして、強制終了の日が訪れました。

 

 

私の現実を目の当たりにしたのです。

 

見て見ぬ振りをしていた、

自分の生活が脅かされていました。

 

 

これから先のことを考えると、

恐ろしいばかり。

 

生きていけない。

 死ぬしかない。

そう思いました。

 

いく日も、その間見栄を張り続け、

余裕のふりをしていました。

そこで見栄を捨て、

親に話しました。

頼るつもりではいなかったので、

たまらずさらけ出しました。

親との会話はあまりありませんでした。

40年ほどでなにを話しただろうというくらいに。

 

私は、

 

不安なのだ

もう疲れたのだ

頑張って生きていかなきゃならないのが辛いのだ

その動機がないのだ(わたしは一人暮らしです)

一人で暮らしているのがもう寂しくて辛いのだ

 

とさらけ出して、

そして、はばからず泣きました。

 

親は、

あんたが困っているならなんでもしてやるから、

そんなにつらく苦しいのならこちらへ帰ってきなさい。

つらくなったのならすぐに電話をしなさい。

 

あんたのためなら、なんでもしてやる

 

という無償の愛情に初めて向き合いました。

 

愛情はすぐそばにずっとあったのに、

きづかないふりをしていました。

 

すでに何も持たなくても、

どんなにダメな人間でも、

愛されているのだと知らしめることが起こります。

 

恐ろしいと思えることの中に、

その状況でこそ見えるものがあらわれ、

 

私たちは経験 を重ねていくのです。

 

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お金のこと

なんのためにお金を得るのでしょうか。

 

不安を消すため。

 

不安とは何でしょうか。

 

お金がないと食べていけない。

 

お金がないと人と付き合えない。

 

お金がないと暮らせない。

 

お金がないと恥ずかしい。

 

こんなことが不安の中身でした。

 

 

さらに奥へ進むと、

 

お金がないとわたしは生きている価値がない。

 

となりました。

 

 

 

生きていることに価値が必要なのか。

 

 

 

価値などは必要ないのです。

 

ただの存在がそれだけで大成功なのです。

 

だけど、お金は欲しい。。

 

ワクワクすることに使いたいですね。

 

ワクワクってなんでしょうね。

 

今日会いたい人に会いに行く交通費

好きな料理を食べる

音楽を体感する

人と会っていろんなお話をする

 

楽しいことがたくさんあるから、

 

そこにお金を使いたいから

 

だからたくさん稼ぎたいと思いますね。

 

稼ぐってなに?

 

価値を与えて、その対価?

 

喜んでくれてありがとう、の金額

 

毎日喜びをかさねよう。

 

じぶんが本当に喜ぶことをまず考えてみましょう。

壮大な不安に飲まれそうな時

不安は沼に引き込むようにできていて、

沼底からの引力は、抗えないほどだと思えるかもしれません。

 

だけどそのぶん上へ光へと引っ張る力もまた大きいのです。

 

ある人が、沼地から出ようとするのが先でなく、

沼地に足を突っ込んだまま、

そのままで咲いた蓮の花のように、

美しく咲いている部分をみなさい。

 

泥沼の中で何を見出したのか、

私たちは何を見ていくのか。

 

もしかしたら、

泥沼にいながらも、人と寄り添いたいと目覚めるのかもしれない。

人に深く愛されていることに気づくかもしれない。

自分が自分を愛してあげてよいのだと気づくかもしれない。

 

私たちは苦しみの中にあるとき、

蓮の花を思い出そう。

暗闇の中の一筋の光は必ずあるのですから。

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バシャールの言葉

バシャールの言葉をメモ。

 

大きな手放しが起こって、

不安と恐怖に押しつぶされそうになっている今。

恐れで焦った選択をしないよう。

いい選択をして行くために。

 

「その瞬間瞬間において、

自分の選べる選択肢の中で、

一番ワクワクするものを選んでください。

 

なぜなら、どんな小さな一歩であれ、

自分の情熱、ワクワクから行動を起こすと、

それがより多くのワクワクや情熱につながる糸となり、

さらに、その糸がどんどん太くなって、

情熱が成長し拡大して行くからです。」 

 

「自分が古い観念システムを手放す前に、

行動してはいけないのです。」

 

「立ち上がりたいと思ったとき、

自分から立ち上がれることを知っていれば、

勇気は必要ない」

 

「立ち上がれるかと知っているか」