この出来事が教えてくれた気づきは?
楽しいことばかりでない毎日。
漫然と生きてきたわけではない。
日々目の前のことに懸命だった。
あの時どうしてそんな道を選んでしまったのか、
振り返っても変えようはなく、
とんでもない事態に陥り、
地獄に落ちたような気持ちになったりもしますね。
安心と愛を強く求めたことがあります。
家族がほしい。
愛されたい。
豊かな生活がしたい。
家族があり、パートナーに愛され、
すでに、人に恵まれ豊かなのに、です。
できる人、すごい人、美しい人に見られないと、
見捨てられそうでこわい、こわい…
見栄を張って自分の生活と心を顧みずにいました。
そして、強制終了の日が訪れました。
私の現実を目の当たりにしたのです。
見て見ぬ振りをしていた、
自分の生活が脅かされていました。
これから先のことを考えると、
恐ろしいばかり。
生きていけない。
死ぬしかない。
そう思いました。
いく日も、その間見栄を張り続け、
余裕のふりをしていました。
そこで見栄を捨て、
親に話しました。
頼るつもりではいなかったので、
たまらずさらけ出しました。
親との会話はあまりありませんでした。
40年ほどでなにを話しただろうというくらいに。
私は、
不安なのだ
もう疲れたのだ
頑張って生きていかなきゃならないのが辛いのだ
その動機がないのだ(わたしは一人暮らしです)
一人で暮らしているのがもう寂しくて辛いのだ
とさらけ出して、
そして、はばからず泣きました。
親は、
あんたが困っているならなんでもしてやるから、
そんなにつらく苦しいのならこちらへ帰ってきなさい。
つらくなったのならすぐに電話をしなさい。
あんたのためなら、なんでもしてやる
という無償の愛情に初めて向き合いました。
愛情はすぐそばにずっとあったのに、
きづかないふりをしていました。
すでに何も持たなくても、
どんなにダメな人間でも、
愛されているのだと知らしめることが起こります。
恐ろしいと思えることの中に、
その状況でこそ見えるものがあらわれ、
私たちは経験 を重ねていくのです。